私達は一旦『個』になりたかった

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結構前からスピリチュアル業界では縄文時代の生き方、人の繋がり方にフォーカスする動きがあります。

縄文の人たちは小さな集落で生きていたから、縄文時代は争いがなく、つながり=生きること、でした。

でも今の現代は『個』が優先的にあり、仕事・家・生活がバラバラに成立しているからつながりはなくても生きられる。

縄文は

「生きるために深くつながり合う世界」

現代は

「生きられるけど、つながりは自分で選んでつくる世界」

だと感じています。

 

で私はなんか今の核家族が、人とのつながりが希薄でダメみたいな印象を受けるのですが、

(そんなことありません?)

私は進化の過程で『個』になったことは必要だったと思うのです。

 

女性は共感能力が高いです。それは昔昔、男性は狩りに出て、女性は村を守っていた。

村で仲間はずれにされてしまうことは、女性にとっては死活問題だった。

だから察する能力が男性より優れていると言われています。

 

近年でもまだ男は外で働くもの、女は家を守るもの、そんな風潮は残っています。

縄文時代からそのDNAが組み込まれているのなら、どんなに女性が外に出るようになっても本質的なものはそうそう変わる事がないでしょう。

 

ここからはね、私の持論ですよ。

村々のルールがある。誰もが私の事を知っている。

この状況は、集落を守るために生きなければならなく、私というものを表現するには窮屈だったんじゃないかと思います。

(今の田舎もそういうところありますよね)

男は外で働くもの、女は姑と家の中。男は家の中の事を察知する事なんてできない。

外へ出たい。もっと自由に生きてみたい。私という『個』を認めてほしい。

 

だから今『個性』というものが尊重されるようになってきた。

『個』になったのはより自由に生きる為の進化。

縄文時代のように〖生きる為に深く繋がり合う世界〗ではなく、

〖個を尊重しながら自分らしく自由に繋がれる世界〗になる為のステップとして核家族というところまで発展したのだと私は思います。

 

だから縄文時代のように、ではなく、現代らしいネオ縄文時代を築いていけるのではないかと思います。

私達一人一人が気づければ、ですが。

 

自然・精霊・大きな存在との繋がりを私達が思い出せばネオ縄文としての世界の始まりです。

個性を尊重しながら、安心がベースにあり、個と全体が調和しやすい集団のエネルギーフィールドで生きる。

そんなコミュニティが今所々で産まれてきていますよね。

 

だから『昔はよかったらしい』なんて言わずに、やっぱ今が最高なんだと思う。

そんな風に私は思うわけです。

日本に産まれているというだけで私達は勝ち組だ。

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