性欲は正常だし清浄だし、菩薩の境地
この仕事ってほんとにさぁ~逆境に強くないとやり続けることができないじゃんね。
1年に一回は直接的に邪魔してくる人とか出てくるのよw
「あっまた来たww」ぐらいの感じなんだけど、やっぱりちょっと苛立つよね。
こちとら生半可な気持ちで顔出しでやってないもんで、かかってこいや、ファック!!なんだけどもw
ロックンロール魂舐めんなよ。
私のやってることはどう考えても正常だし、清浄だ。
って真言宗の理趣経にも書いてあるんだよ。
理趣経は真言宗の常用経典で、大きな法要はもちろんのこと、お通夜、お葬儀、お盆などあらゆる法事でこの経典を誦える。
むしろ、朝晩のお勤めには欠かさず当たり前にお唱えするのがこの理趣経である。
そのくらい、真言宗にとっては無くてはならない経典ということ。
その理趣経「十七清浄句」の文言がこちら。
[初段・大楽の法門の解説]
『わたしはこれから、すべのものは清らかである、という教えを説く。それはこのようなものである。
性行為による恍惚感(エクスタシー)は清らかであるから、菩薩の境地である。
愛欲の矢を放つことは清らかであるから、菩薩の境地である。
性的な接触は清らかであるから、菩薩の境地である。
愛欲による束縛は清らかであるから、菩薩の境地である。
性行為によって得られる支配感は清らかであるから、菩薩の境地である。
愛欲の眼差しを向けることは清らかであるから、菩薩の境地である。
性的な悦楽感は清らかであるから、菩薩の境地である。
性愛の感情は清らかであるから、菩薩の境地である。
性行為によって慢心する感情は清らかであるから、菩薩の境地である。
異性を意識して外観を飾る行為は清らかであるから、菩薩の境地である。
性行為によって満たされた気分に浸る感覚は清らかであるから、菩薩の境地である。
性行為中の光り輝くような感覚(オーガスムス)は清らかであるから、菩薩の境地である。
肉体的な快楽は清らかであるから、菩薩の境地である。
色欲をもたらす事象は清らかであるから、菩薩の境地である。
色欲をもたらす声は清らかであるから、菩薩の境地である。
色欲をもたらす香は清らかであるから、菩薩の境地である。
色欲をもたらす味は清らかであるから、菩薩の境地である。
それはいかなることか。あらゆる事象はその本性において清らかであるからである。
従って、悟りに至る智慧の完成(般若波羅蜜多)そのものも清らかなのである』
ほらみんさい。私のやってることの清らかさパネェだろ!!笑 菩薩の境地!!
光が強すぎちゃってすぐ見つかっちゃうみたいね(ノ≧ڡ≦)テヘペロ
タントラは正に密教なんだけど、真言宗の開祖空海が性エネルギーを使ってたような記述は残ってないらしいんですよね。
(空海が持ってきたのは中期密教だしね。タントラは後期密教)
インドでは色欲に溺れてしまったりそれを利用しようとしたダメな僧侶も現れたり(現世でもクソなセラピストがいるなw)。
欲を否定するのではなく肯定し全てを包括した上で、
性欲をコントロールして昇華させることは強靭な精神を鍛えなければならず、それこそ悟りの境地だと思うんだけどな。
もう本気でマリリン教作ってやろうかなε-(`・ω・´)フンッ
オーガズムで極楽浄土♡笑
あっオンラインショップで【昇天祈願】売ってます!w
マリリン教は絶対買うべし!!笑