知識が増えるほどに深みにハマるタントラ
目次
今年は色んな人とコラボしていきたいなぁと思ってるのですが、
今日はシロさんて方にタントラ施術をしていただきまして♡
あんなにタントラ理論的に話す人に初めて会った!!笑
もはやあんなに理論的に話されたら全くエロくない(((๑´ㅂ`) ʬʬʬ
↓音声注意です!
頭の悪い私には理論ほぼ記憶に残ってないけど(笑)私長嶋茂雄タイプw
タントラを体系化できたら面白い。きっと今年からタントラはどんどん表に出てくるようになるだろうな。
そんな雰囲気をビシビシ感じます。
今年私は性を『尼』として発信していこうと思っております。
見て見て、袈裟が届きましてん♡
コスプレじゃないよ、本物だよ(笑)
今はまだ形だけですが、100日修行しにいくにあたりクラウドファンディングをしております!
クラファン終了まであと8日!!
改めましてなぜ今私が尼さんを目指しているのかと言いますと、
一見『性』と『尼』は正反対の所にいるように見えるかもしれませんが、私が目指しているのは真言宗の密教僧です。
密教には≪理趣経≫という経典があります。
理趣経では、性を含む人間の「欲望」や「感覚的な喜び」を否定せず、それらを悟りに至るためのエネルギーとして昇華する可能性を説いています。この視点は、従来の煩悩を否定的に捉える伝統的な仏教の見解とは一線を画しています。
【性欲は仏性を体現する手段となり得る】
理趣経では、性欲や性的な行為自体を否定せず、むしろそれを純粋な智慧や慈悲へと転換できると説いています。性行為も大日如来の真理(理趣)に基づけば、煩悩としてではなく、仏道を歩む行為となると捉えます。
【煩悩即菩提の実践】
煩悩(性欲を含む人間の根源的な欲望)は、悟りへの障害ではなく、それ自体を転じて菩提(悟り)に変えることができるとされています。この教えは密教の中心的な思想であり、理趣経の教えを象徴するものです。
【性的な象徴としての曼荼羅】
密教の曼荼羅や儀式の中には、性的な象徴を含むものがあります。これらは、性を否定するのではなく、宇宙の根本的な調和や生命の創造力を象徴するものとして扱われます。
【密教の儀式と性】
一部の密教伝統(特にチベット仏教のタントラなど)では、性的な象徴を取り入れた儀式や瞑想が存在します。ただし、これらは単なる肉体的な快楽を追求するものではなく、深い瞑想的な意味を伴い、悟りを目指す修行として実践されます。
上記を読んでいただいてお分かりでしょうか?
私が常日頃ブログで書いている事がすでに密教の経典には書いてあるということなんです!
きっと今私のブログを単なるエロイお姉さんが書いている戯言だと感じている方もいるかと思いますが、それが昔からある仏教ですでに説かれていた。
これはもう、
と思ったんです!!
「尼になりたい」って本気で言い始めてたのが3カ月前なのですが、摩訶不思議なご縁があってすぐ得度できることが決まりました!
『得度とは、仏教の修行者が出家して僧侶になること、あるいは仏門に入ることを指します。この場合、「度」という言葉は「渡る」という意味を持ち、煩悩や俗世の苦しみという「迷いの世界」から、仏の教えを実践することで「悟りの世界」へ渡ることを表しています。』
普通得度したいとなってもご縁がなく数年彷徨う人もいる中、すぐご縁が繋がるのは導かれてるとしか思えません。
このチャンスを逃したくない!!
ただ女一人で『性』の事を語るのは、今の世の中でも容易なことではありません。今まで精神的に頑張ってきた自負はあるのですが、
ここまで来たら皆さんに応援されてステージを上がりたい。
尼僧が語るとなると性的な精神世界が今までより崇高に見えるはず。
「女性が輝く人生を送る為」のサポート力が格段に上がると思うのです。
だからどうぞ尼僧になる私の夢を共に支えてください。
いつもブログ読んでるぜぇって方はご支援いただけると嬉しいです!!
↓↓CLICK↓↓